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「B29が飛んできた」高松空襲から75年 100歳が語る“忘れられない記憶” 香川

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 高松空襲から7月4日で75年です。高松市に住む岩部サダヱさんは75年前、空襲を経験しました。女性は100歳になった今でもB29が飛んでくる光景をはっきりと覚えていました。

 今年3月で100歳になった岩部サダヱさん。75年前、1945年7月4日の未明。地区の救護班だった岩部さんは外で見張りをしていたそうです。

(岩部サダヱさん) 「西のほうに大きなお月さんのような大きな黄色いのが見えたと思ったら、間もなくに来た、B29が飛んできた」 (記者)「逃げた方角はどっちですか」 「東、東や。東に逃げなんだら、西は逃げられんな、なんぼでもB29が飛んできよる。B29、100機やで、それこそもう恐ろしいで、飛行機が上でまいよん(回っている)やから、B29、100機」

 上にはB29が舞い、下には焼夷弾が散らばる中、岩部さんは3キロほど逃げました。そして、川に身を潜めました。

(岩部サダヱさん) 「しばらくしたら、『B29がいんだ(去った)』言うての、警報が鳴っての、『みんないんだぜ、みんな出て来いよー』ってみんな男が言うてな、それが夜明け」

 午前3時前から2時間ほど続いた空襲。116機のB29が24トンの爆弾と809トンの焼夷弾を落としました。  高松市は中心部の約8割が焼け、1359人が亡くなりました。高松市花園町にあった岩部さんの自宅も焼けました。

(岩部サダヱさん) 「罹災証明しに行ったら、学校の廊下に黒焦げになったような人間や、半分ぐらい死んでもうちょっと生きたような人やら、黒焦げやらいろんな人が廊下や中におるな、その横で罹災証明をする、ほんまにかわいそう、気の毒でな、そんな姿をみとるけん、戦争はするもんでないと思った、そのときにな」

(岩部さんの親族/十河さん) 「毎回同じこと言うから真実なんでしょうね、うろ覚えだったら同じことは言えんから」


 家があった場所を通る度に空襲のことを語るという岩部さん。  100歳になり忘れることが増えた今でも、あの日の光景は鮮明に覚えています。

(岩部サダヱさん) 「戦争はしたらいかん、戦争のために、男も女もみんな体をめげてしもた(壊れてしまった)、心もめげてしもた、戦争はいかん」

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