「自分事化するスタートは“知る”こと」 被災地に行かずとも身の回りにある、防災意識を持つきっかけとは

災害の怖さを自分事化することが大切だと言われても、「身近に実感できる機会がない」と最初から諦めてしまってはいないだろうか。東日本大震災後、福島の子どもたちを香川に招いて交流を続けているNPO法人の担当者は、現地に行ったり災害を実際に経験したりせずとも、自分事化するきっかけはたくさんあると話す。

NPO法人福島の子どもたち香川へおいでプロジェクト 渡辺さと子氏

被災地の子どもたちにのびのびとした時間を

―はじめにどういった取り組みをされているのか教えてください。

放射能汚染の不安の中で暮らす福島やその近県の子どもたちに、自然の中でのびのびと子どもらしい時間を過ごしてもらおうと、2011年7月に活動を始めました。
2019年度までに長期休暇中の13回の保養プログラム、8回のホームステイ、生活用品のそろった借り上げ民間住宅「おいでハウス」の年間通じての受け入れなどで、約890人の福島の子どもたちとその家族を、香川に迎えました。例えば夏の保養では、川遊びをしたり、海水浴をしたり、うどん打ち体験をしたりという活動をしています。さらに、移住してきたご家族の就労や子育て支援、孤立防止のための交流支援、福島の現状を知るための講演会・上映会の開催、様々なイベントで活動報告のパネル展示も行っています。

うどん打ち体験(2019年)

―活動を始めて、特に印象に残っている出来事はありますか。

今でも覚えていますけど、2011年夏の初めての保養のとき、3歳4歳の子ども達が、五色台(坂出市)の宿舎の前で、土いじりをしていました。子どもたちは大好きですよね。それを見てお母さんが涙を流していたんです。なぜかというと、そういうことは福島では絶対にできないから。 雨とか土、ましてや土を手で触るなんて、当時はとんでもないことですから。(福島では)全然外でも遊ばせていなかったと。本当に涙を流して「半年ぶりなんです。」と言われました。そういうことがあって、これは何としても活動を続けていかなければ、と思いました。

生活を奪われる怖さ

―ほかにも子どもたちや親御さんにいろいろな話を聞かれたと思いますが、原発事故に限らず、災害の怖さを感じた部分はどういうところですか。

本当に生活を根こそぎ奪われるということの意味ですかね。同じ被害を受けられた方の中でも、気持ちがだんだん食い違っていくと言うか、ギクシャクしてしまうということがね。福島の場合はおじいちゃんおばあちゃんとか3世代4世代が一緒に暮らしているような家族も多くて、若い夫婦がどうしても避難したい一方で、お年寄りはやっぱり残りたいと言うので、家族がバラバラになってしまったり、考え方の違いで夫婦が別れちゃったりっていうのもありますから。
それは「運が悪かったね、私は運が良かったわ」では済まない問題だなと思っていて、誰だってそうなりえたと思うことが大事ですよね。結局、被災地から遠いとだんだんみんな忘れていくじゃないですか。報道されなくなると関心がなくなる。それではいけないなと思いました。福島のことがどうなっているのか、もっと知ってもらう機会がいると思ったので、写真展や講演会もずっと続けてきました。

原発事故被害についての講演会(2019年)

「知る」ための入り口をつくる

―自分たちには関係ないという意識を変えていくためにはまず、「知る」ということだとお考えなのですね。

「知る」ということも、いろんな入り口があると思います。子どもと出会うことでもいいし、ドキュメンタリー映画を見ることでもいいし。あるいは本や新聞とか、いろんな形で香川にいても知る機会っていうのは無数にあるわけですよね。その入り口をいっぱい作ることが大事かなと思っていて、それがひとつの活動です。
よく聞くのが、「自分も何かしたいと思っていたけど、被災地まではいけない。」という言葉です。なかなか行ける人は少ないですよね。被災地に行かなくても、被災地の人たちのことをいつも気にかけたり、自分のこととして考えたりする人たちが、香川で増えるということが、これから何が起きるにしても大事な事だと思っています。福島の子どもたちのためだけにやっているというよりも、香川に住んでいる私たちのためにもやっているというか。香川だからこそやらなきゃいけないって思っています。災害があまりなくて、その辺が実感しにくい土地だからこそです。

元参加者の大学生ボランティアと海水浴(坂出市・2019年)

―渡辺さんが福島の方たちと実際に交流されていて、学ばれたことはありますか?

私はガス欠で車が止まってしまったことがあるくらい、以前は給油に無頓着でしたが、福島のお母さんから「あの時困ったのはガソリンがなかったからなの。必ず半分になったらね、ちゃんと給油しておかないと駄目よ。」と言われたことがありました。「そうだ。」と思って今は、言われたことを実践しています。
他には、具体的にこうしなさいと言われたわけではないけれど、よくこちらで地震があったとかね、豪雨災害があった時も、「大丈夫ですか。」というふうに連絡してくださるんですよ。それは結局、その人たちにとっても他人事ではないからです。やっぱり起きた時にどんなに大変だろうと思う気持ちが、経験した人たちだからこそあるんじゃないですかね。自分たちが直接経験していないときにも、どこまで本当に気持ちの上で感じるか、大変さや辛さを考えようとするかが大切だと思いました。

―自分たちの活動を続けていくことは、防災にとってどんな意味があると思いますか?

なんといっても、子どもたちと遊ぶのは楽しいから、いろんな人が関わってくれやすいんですよ。高校生や大学生のボランティアも来ますし。 結構年代層幅広く、「子ども好きなんだよ。」という人が来てくださる。 入口は全然それでよくて、でもそこで福島のことを少し他人事と思わずに考えてくれるきっかけになったらいいなと思います。防災という観点において私たちの活動は、いろんな人が参加しやすい形でなおかつ、被災地のことを他人事と思わないようにするための活動です。だから息長くやりたいし、やらなければいけないなと思っています。今、丸9年ですけどね。なんとか続けていきたいです。

渡辺さと子(わたなべ・さとこ)

愛媛県出身。高松市在住。「NPO法人福島の子どもたち香川へおいでプロジェクト」の立ち上げメンバーで、事務局として活動全般の企画・運営を行っている。

取材/文:笠原慎太郎