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『立花さんのトランク』

2017年11月、岡山県瀬戸内市の国立ハンセン病療養所『邑久光明園(おくこうみょうえん)』で1人の男性が亡くなった。立花誠一郎さん(享年96)。立花さんは晩年、カウラ事件の語り部として知られるようになった。出身地から遠く離れて、偽名を使うことによって。「捕虜は恥」とする戦前の価値観に苛まれ続けた立花さんが後世に残そうと思った物があった。それは捕虜収容所で手作りしたトランクだ。「カウラ事件のことを忘れないでほしい…」数奇な運命をたどった立花さんの人生を一つのトランクを軸に描くことにした。

番組内容

岡山県瀬戸内市の国立ハンセン病療養所で暮らす立花誠一郎さん(1921年生まれ)は長らく人に語ることができない過去があった。1944年、オーストラリアの捕虜収容所で起きた日本人捕虜による集団脱走事件・カウラ事件の生存者だったのだ。「生きて虜囚の辱めを受けず」の「戦陣訓」の一節にあるように、当時の日本兵にとって捕虜になることは恥だった。事件の直前、ハンセン病と診断されていた立花さんは隔離されていたため、脱走計画を知らなかった。

しかし、鉄条網に死を覚悟して殺到する捕虜たちを目の当たりにしたにも関わらず、一歩が踏み出せず生き残ったことを負い目に感じて生きてきた。
捕虜という不名誉な過去とハンセン病。「二重の苦しみ」に苛まれ続けてきた立花さんが大切に持ち続けてきた宝物があった。収容所内で手作りした木製のトランクだ。地元の高校生との交流などを通じて過去を語り始めた立花さんはトランクを東京の史料館に寄贈することにした。カウラ事件を後世に伝えるために。
元捕虜の証言や2度の現地取材、立花さんの意思を受け止めようとする高校生らの姿を交えて伝える。

カウラ事件とは?

太平洋戦争中の1944年8月5日未明、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州の田舎町カウラにあった捕虜収容所で日本人捕虜1104人が集団脱走。231人が死亡(3人が事件の際の負傷によりのちに死亡)、オーストラリア側も監視兵4人が死亡した。事件の背景には「戦陣訓」(1941年)の一節「生きて虜囚の辱を受けず」に象徴される捕虜になることを恥とする旧日本軍の方針があった。オーストラリアの捕虜への待遇は人道的で、日本人捕虜は作業を拒否し、野球や麻雀、花札などの娯楽を楽しんでいた。脱走の決定は捕虜全員による投票で決定し、約8割の捕虜が賛成したが、内心反対していた者も多数いたことが今日では明らかになっている。